仙台空襲と東二番丁小学校
1945年7月10日未明、100機を超えるB29が仙台市中心部を約2時間にわたり爆撃しました。
この空襲で、東二番丁小学校は校舎を焼失し、23名の児童の尊い命が失われました。
1950名いた児童は住む家を失い散り散りになり、本校の在籍は、わずか25名となりました。
空襲後は、終戦まで片平丁小学校の一画を借りて勉強していました。
終戦後すぐに、一力次郎氏を会長に校舎復興期成会が組織され、同窓会の皆様のご支援により、昭和23年に新校舎が落成しました。
そのときに、「空襲で亡くなった23名の子供たちも、新しい校舎で一緒に勉強させてあげたい」と23体の小さな観音像が寄贈されました。一体一体、背中に亡くなった児童の名前が書かれています。
東二番丁小学校の保護者の絆の堅さ、親心の深さを感じることができます。
いまでも、校長室に大切に置いてあります。校庭の平和観音像は昭和27年に、亡くなった子供たちの慰霊碑として建立されました。当時の校舎を一望できる校庭の南側の真ん中に建てられています。
校木のくすのきは空襲で全焼してしまいましたが、3年後に再び芽吹き現在の双幹の大木となっています。
今日は6年生が戦災復興記念館に行き、仙台空襲について学びました。
当時同じように空襲の被害を受けた立町小、荒町小、通町小の子供たちも一緒に、仙台空襲の様子について講話を伺い、勉強しました。 一番前の真ん中の席に座った東二番丁小の子供たち。いつものように話をしっかり聞いていました。
東二番丁小の観音像の写真も展示されていました。
本校児童が、新聞記者さんに観音像の説明をしていました。
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