開校記念朝会
本日7月1日は本校の152周年の開校記念日です。
同窓会長様、PTA会長様をお迎えして全校児童が集まり開校記念朝会を行いました。
同窓会長様からは、多くの卒業生が本校を巣立っていること、お父さんお母さん、お爺さんおばあさんなど何代にもわたって本校が母校になっている家庭もあること、地域の皆さんと協力して助け合う気持ちが大切なことなどをお話しいただきました。
毎年、開校記念日には、ご多用のところ本校に来ていただき、子供たちにお話をしていただきます。大変ありがたいです。
校長からは、開校当時の時代背景と、本校のかつて校名であった「養賢」について以下のように話しました。
東二番丁小学校は、今から152年前、明治六年1873年に開校しました。
今日は開校記念日なので、少し昔の学校のことを振り返ってみましょう。
私たちの学校ができた明治六年とはどんな時代だったのでしょう。152年前です。
この年は、日本で初めて街灯がともった年です。
今では当たり前の街灯ですが、この当時はまだ家の中ではろうそくや油を燃やす行燈
外を歩くときは提灯をもって歩くような時代で夜の街は真っ暗でした。
街に電気で明かりがついたことに人々はとても驚いたそうです。
はじめて日本で汽車が走ったのもこの時代でした。
当時は遠いところへは馬でいくことがほとんどだったので、汽車の乗り方がわからず、玄関からおうちに上がるように駅のホームに靴を脱いでいって、汽車に乗る人もいたそうです。
このように日本の国に新しいことがどんどん始まった時代に開校したのが、私たちの東二番丁小学校です。
昔の東二番丁小学校です。立派な校門ですね。
開校当時はこのような校舎だったようです。
木造の二階建ての立派な校舎だったことがわかります。
開校したときの子供たちの人数は100人程度だったそうです。
東二番丁小学校は、仙台市の中心部にある学校で、当時の日本の大臣たちもたくさん見学に来ました。社会科の教科書に載っているような、またのちの紙幣に印刷されるような有名な方々です。
これはおよそ100年前の東二番丁小の卒業アルバムです。
服装もずいぶん違いますね。まだみんな着物を着ています。
何か気が付くことがないですか。
そうです。女の子だけです。この当時は男の子と女の子は別のクラスで授業を受け、写真も別にとっていました。
これが男の子のクラスの写真です。
女の子のクラスよりも人数が多くて、担任の先生も違います。
ひげを生やしていて少し怖そうな感じがしますね。
東二番丁小学校は、はじめは二番小学校と名乗っていました。
二番目にできたからというわけではなく、二番学区という場所にあったからです。
その後すぐに養賢小学校と名前を改めました。
そして東二番丁小学校という、今と同じ名前になりました。
この養賢という言葉は聞いたことありますよね
そうです。ようけんタイムや、ようけん図書館の「ようけん」です。
昔の東二番丁小学校の名前からとっている言葉なのです。
では、この養賢とはどういう意味なのでしょうか。
養は、やしなうとも読みます。「少しずつ身に付ける」という意味です。
賢は、かしこい、といういみです。
ですので「養賢」とは、賢さを少しずつ身に付ける、といういみです。
とてもいい言葉ですね。 賢さを少しずつ身に付ける学校が東二番丁小学校なのです。
では、本当に賢いとはどういうことでしょうか。
テストで見たこともない問題が出たときでも、本当に賢い人は自分で考えて問題を解こうとします。友達とけんかになりそうなときでも、どうしたら自分も相手も傷つかずに解決できるか考えられます。



コメント
コメントを投稿